「お客様がいます」というチラシの言葉——存在しない顧客を信じてはいけない理由【現役宅建士が解説】

売却の基礎知識

「購入希望者がいます」というチラシはなぜ配られるのか?

結論から申し上げますと、そのチラシの目的は「実在する購入希望者の紹介」ではなく、仲介会社が自社の営業活動のために「媒介契約(売却を任せる契約)を取得すること」にあります。

郵便受けに入っている「お住まいを探しているお客様がいます」というチラシ。一見すると、自分の家がすぐに売れるのではないかと期待してしまいますよね。しかし、私のこれまでの実務経験から言えば、このチラシを見て問い合わせた先で、具体的に名前や顔が見える「特定の購入希望者」が実際に待機しているケースはありません。なぜなら、この手法は多くの仲介会社が新規の売り物件を獲得するために使う、典型的な営業マーケティングの一つだからです。

仲介会社にとって、売り物件の確保は「仕入れ」と同じであり、会社経営の生命線です。営業マンには日々、厳しいノルマが課せられています。そのため、まずは売主にアプローチし、信頼関係を築くための「きっかけ」として、このようなチラシが大量に投函されているのが不動産業界の構造的な現実です。

なぜ「購入希望者がいます」という営業トークに注意が必要なのか?

このトークの最大の危険性は、相場よりも高値で売却できるかのような誤解を売主に与え、媒介契約を結ばせることにあります。

仲介会社が媒介契約を結ぶ際、あえて強気の「査定価格」を提示することがあります。現場でよくあるのは、適正な相場が9,000万円の物件に対し、「当社にはこのエリアで探しているお客様がいて、高く買いたいと言っています」と1億円の査定を出すケースです。売主はこの言葉を信じ、「そこまで高く売れるなら」と契約に踏み切ります。

しかし、実際に契約を結んだ途端に、「そのお客様が住宅ローンの審査で落ちた」「急に検討をやめた」といったもっともらしい理由を並べられ、その後は「反応が悪いので価格を下げましょう」と段階的な値下げを迫られるのが典型的なシナリオです。この手法は「囲い込み」や「釣り物件」の亜種とも言え、最初から売主の期待値をコントロールして契約を勝ち取るための戦術なのです。

媒介契約を結ぶとどのようなリスクがあるのか?

安易に媒介契約を結んでしまうと、数ヶ月間にわたって物件が市場に晒され、結果として「売れ残り物件」というマイナスのレッテルを貼られてしまうリスクがあります。

特に「専属専任媒介契約」や「専任媒介契約」を結んでしまうと、他の仲介会社に頼ることができなくなります。もし契約先の仲介会社が自社で抱え込むことだけを優先し、本来であれば他の多くの仲介会社を介して広く情報を公開すべき場面で、情報の流通を止めてしまったらどうなるでしょうか?

  • 相場より高いままの価格で広告され続け、問い合わせが全く来ない
  • 市場から「なかなか売れない物件」と認識され、最終的には当初の相場よりも安値で売らざるを得なくなる
  • 担当者が「売主の希望をかなえて売ること」よりも「媒介契約を継続させ両手契約を獲得する」に注力し、適切な販売戦略が立てられない

私がこれまで数多くの売却相談を受けてきた事例では、この「高値の査定」に引き寄せられた結果、本来であれば数か月で成約できたはずの物件が、半年以上も市場に残り、結局は売却価格を数百万円単位で下げて売却したというケースが後を絶ちません。売却戦略における売り出し期間は、不動産売却において最も貴重な資産です。その時間を無駄にすることは、資産価値を自ら棄損させることと同じなのです。

「購入希望者がいます」という勧誘を防ぐにはどうすればよいか?

チラシの内容を鵜呑みにせず、提示された「査定価格」の根拠を客観的なデータに基づいて説明させる姿勢を持つことが、トラブルを回避する最大の防御策です。

もしチラシの仲介会社に連絡を取る場合は、以下のポイントを必ず確認してください。

1. 査定価格の根拠を数字で提示させる

単に「高い」という言葉を信じるのではなく、「近隣の成約事例はいくらか」「査定の算出方法はどのようになっているか」を明確に聞いてください。客観的なデータに基づかない高値査定は、売主を契約させるための「撒き餌」である可能性が高いです。

2. 実在する顧客の詳細を確認する

「お客様がいます」という言葉に対しては、「どのようなご条件のお客様ですか?」「いつから探されている方ですか?」と質問してみてください。ここで注意したいのは、属性を詳しく語られても、それは実在の証拠にはならないという点です。「個人情報なので詳しくは言えませんが、40代の医者の方で、近くにクリニックを開業されたいそうです」といった、検証のできない具体性を持つ話ほど、むしろ警戒すべきです。

本当に見るべきは属性ではなく、行動です。実際に内覧をしたか。契約に向けた具体的な条件交渉が始まっているか。そして何より、買付証明書が出ているか。本物の購入希望者であれば、これらは速やかに進みます。むしろ、秘匿性のある情報を好んで語る営業トークほど、実態としての行動が伴っていないケースが多いのです。

余談ですが、営業担当者にとって、媒介契約を急いで結ばせる必要は本来ありません。本当に買主がいるのであれば、売買契約のタイミングで媒介契約を同時に締結する形を取ることもできるからです。「今すぐ媒介契約を結ばないと、その話は流れてしまいます」という焦らせ方をされた場合は、架空の顧客で契約を急がせている可能性を疑ってください。

なお、最近のこの手の営業トークは、以前よりも手口が巧妙になっている点にも注意が必要です。一昔前は、大雑把な話で押し切るケースが多く見られましたが、近年は、内覧の予定が入っているかのようにほのめかしたり、検討状況をかなり具体的に語ったりすることで、いかにも実在する顧客がいるかのように見せかける演出が増えています。実態として顧客がいないことに変わりはありませんが、それを見抜きにくくする技術だけが進化している、というのが正確な実感です。

そして、この種のほのめかしは、後になって「実はそのお客様の話はなくなりました」と訂正されることすら稀です。多くの場合、その話自体がいつの間にか立ち消えになり、何の説明もなく次の提案(価格の見直しなど)に話題が移っていきます。話の真偽が検証される機会自体が、構造的にほとんど訪れないのです。

3. 契約前にセカンドオピニオンを求める

一つの仲介会社の言い分だけを信じるのは危険です。複数の仲介会社から査定を取り、その査定価格の平均や、なぜその価格になるのかの説明を比較検討してください。私の経験上、突出して高い査定額を提示する会社ほど、媒介契約後の値下げ圧力が強い傾向にあります。

まとめ

「購入希望者がいます」というチラシは、あくまで媒介契約を獲得するための営業戦術であると認識することが重要です。以下のポイントを心に留めて、賢い売却活動を行ってください。

  • 「購入希望者がいる」という言葉は、契約取得のための営業トークである可能性が極めて高い。
  • 相場よりも大幅に高い査定額は、将来的な値下げを前提とした「撒き餌」であるリスクを理解する。
  • 媒介契約を結ぶ前に、客観的な成約事例や具体的な顧客情報を確認し、冷静に比較検討する。
  • 複数の会社から査定を取り、担当者の誠実さと販売戦略の透明性を見極めることが大切である。

この記事を書いた人

不動産業界で20年以上、今も現場に立ち続けている現役宅建士。宅建士(宅地建物取引士)は国家資格であり、重要事項の説明・契約書への記名押印は宅建士にしかできません。

不動産取引では、物件の法的・心理的な問題点や契約上のリスクを正確に把握することが非常に重要です。宅建士はそのための専門知識と法的責任を持っています。一方、宅建士が関与しない、営業が説明を行い、宅建士が重要事項説明書だけを読み上げるような取引では、重要な告知漏れや契約内容の不備が生じやすく、後からトラブルになっても法的な保護を受けにくいケースがあります。

なお、資格の名称を名乗るだけで免許を持たない悪質なケースや免許貸しのような法令順守をしていない会社もあります。会社のホームページで宅建士が在籍しているか、顔写真付きで掲示されているかなどを確認することが、ご自身と家族を守るためにも必要であると考えます。

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