媒介契約書へのサインは「お願い」ではなく「契約」。途中でやめられると思っている売主へ【現役宅建士が解説】

不動産会社の店舗で媒介契約書をサイン前に確認する60代の夫婦と担当者 売却の基礎知識

不動産会社に売却を頼むとき、売主は「媒介契約書」という書類にサインします。多くの人にとって、これは査定してもらった流れの中の「お願いの手続き」という感覚でしょう。

しかし、この認識のズレが、あとで大きなトラブルの種になります。この記事で伝えたいことは一つです。媒介契約は、サインした瞬間から法的な権利義務が双方に発生する「契約」である——ということ。当たり前に聞こえるかもしれませんが、実務では、この当たり前を認識しないままサインしている売主が非常に多いのです。

なぜ「契約した」という実感が生まれにくいのか

売買契約のときには、宅地建物取引士による重要事項説明という手続きがあります。時間をかけて書面を読み合わせる、あの独特の緊張感が「自分はいま重大な契約をしている」という認識を作ります。

一方、媒介契約が結ばれるのは、その何ヶ月も手前です。査定の説明を受け、担当者と打ち解けて、「では正式にお願いします」という和やかな空気の中でサインする。書面の交付は宅地建物取引業法で義務付けられています(宅地建物取引業法第34条の2)が、「契約を締結した」という体感は伴いにくい。これは売主の不注意というより、手続きの構造がそうさせているのです。

しかし法律から見れば、和やかな空気の中のサインも、緊張感の中のサインも、同じ「契約の締結」です。専属専任媒介・専任媒介であれば、契約期間中は他の会社に重ねて依頼できないという拘束も、この瞬間から始まっています(3種類の違いは媒介契約の種類と選び方レインズ義務の早見表で解説しています)。

契約だから、一方的には途中でやめられない

「他にいい会社が見つかったので、今週で切り替えます」。美容院ならそれで済みますが、媒介契約ではそうはいきません。契約には期間があり、期間内に売主の都合だけで解除しようとすれば、それまでに掛かった費用の請求などの問題が生じ得ます。

期間内でも解除に進める道はあります。不動産会社側に契約上の義務違反——たとえば業務処理状況の報告をしない、レインズに登録しないなど——があった場合の、債務不履行を理由とする解除です。ただし、ここに多くの売主が知らない現実があります。

「対応が悪い」は、解除の理由にならない

解除を考え始めた売主の話は、たいてい感情の言葉から始まります。「担当者が約束と違うことを言う」「対応が悪い」「連絡が遅くて不誠実だ」。その不信感は、多くの場合、根拠のあるものです。

しかし、法律は感情ではなく事実で動きます。「不誠実だと感じた」ことは解除の理由になりません。解除の理由になるのは、契約上の義務に違反したという事実だけです。だから、感情を事実に翻訳する作業が必要になります。

  • 「連絡が遅い・放置されている」→ 業務処理状況の報告義務(専属専任媒介は1週間に1回以上、専任媒介は2週間に1回以上)が果たされていないか
  • 「ちゃんと売る気があるのか」→ レインズへの登録義務が期限内に果たされ、登録証明書が交付されているか
  • 「約束と違う」→ その約束は書面やメールに残っているか。口頭の約束は、あとから存在を示すことが極めて難しい

この翻訳ができたとき、初めて「解除」は感情論ではなく法律の土俵に乗ります。

その事実を証明するのは、売主の側である

そして、もう一段の現実があります。債務不履行による解除は、催告してもなお履行されないときに解除できるという構造になっています(民法第541条)。そして民事のルールでは、解除を主張する側が、その根拠となる事実——義務違反があったこと——を立証する必要があります。つまり「報告がなかった」ことを示す材料を用意するのは、不動産会社ではなく売主です。

実務の肌感として言えば、この立証責任の構造は、裁判になる前の交渉の段階から効いています。売主が解除を申し入れ、会社側が応じない場合、弁護士名で「契約期間内であり解除は認められない」という通知が届く展開は珍しくありません。そうした通知が強気で来るのは、多くの場合「売主側は義務違反を証明できないだろう」という読みがあるからです。逆に、売主の手元に報告メールの記録や登録証明書の有無といった具体的な材料が揃っていれば、同じ交渉がまったく違う空気で進みます。証拠の有無は、裁判の前に勝負を決めているのです

そもそも、縛られ方は売主が選べる

ここまで読むと、媒介契約が重い拘束に感じられるかもしれません。しかし裏を返せば、契約である以上、どう縛られるかの条件は締結前に売主が設計できるということです。実務で使われている方法を、拘束の軽い順に3つ紹介します。

①媒介契約を結ばずに、まず動いてもらう

実は、媒介契約を結ぶ前の段階で、不動産会社が手元の見込み客や業者間のネットワークに物件を非公開で紹介し、買主候補が固まった段階で改めて媒介契約を結ぶ、という進め方が実務には存在します。業界では俗に「心の専任」などと呼ばれる形です。

売主にとっての利点は、期間の拘束がゼロであることです。契約していないのだから、解除も通知も立証も要りません。合わないと思えばいつでも離れられ、その間に他社の話を聞くことも自由です。

ただし、注意点も裏表の関係であります。契約がない以上、報告義務もレインズ登録義務も発生しない——つまりこの記事で説明してきた売主を守る仕組みも働いていない状態です。広く公開しないため価格競争も起きにくい。信頼できる担当者がいて、売却を急がないケースで有効な方法だと理解してください。

なお、これは売主が理解した上で非公開を選んでいるから成り立つ話です。媒介契約を結び、レインズに登録したように見せながら実際には物件を抱え込む囲い込みとは正反対の話であることを、はっきり区別しておきます。非公開は本来、業者が無断でするものではなく、売主が選ぶものです。

②契約期間を短くして、お試しで始める

専属専任媒介・専任媒介の契約期間は「3ヶ月」が定番ですが、これは法律上の上限であって(宅地建物取引業法第34条の2第3項)、デフォルトではありません。1ヶ月や2ヶ月で契約し、働きぶりを見て更新する形にすれば、「解除で争う」場面そのものが構造的に発生しにくくなります。

なぜなら、期間満了で更新しないことは、解除ではないからです。解除は、走っている契約を途中で断ち切る行為なので、正当な理由と、それを裏付ける立証が必要でした。しかし満了による終了は、最初から「この日まで」と合意した期日が来て、契約が自然に終わるだけのこと。理由の説明も、義務違反の立証も、一切要りません。途中でやめるには武器が要るが、満了で終えるには何も要らない——この非対称性こそ、期間を短くすることの本当の価値です。

ただし、この理屈には見落としやすい落とし穴があります。契約書の「更新のされ方」です。専属専任媒介・専任媒介の更新は、依頼者(売主)からの申出がある場合に限られます(宅地建物取引業法第34条の2)。つまりこの2類型では「何もしなければ自動で更新される」という条項は本来成立しません。それにもかかわらず、実務の肌感では、契約書の書式に自動更新の条項が入っているケースは意外と多く、さらに「更新しない場合は満了日の30日前までに申し出ること」といった告知条項がセットになっていることも珍しくありません。こうなると、満了日に何もしない=終了ではなく、更新になってしまいます。専任系の契約書に自動更新条項を見つけたら、その効力に疑義があるだけでなく、契約書を丁寧に扱っていない会社だという注意信号として受け取ってください(この論点は専任媒介契約の「自動更新」は無効——裁判例から学ぶで詳しく解説しています)。

そして一般媒介には期間の法定規制がなく、自動更新条項と告知条項が有効なものとして置かれていることがあります。気づかないうちに契約が続いていた、が起こり得るのはむしろこちらです。対策は具体的にこうしてください。アラートを設定するのは満了日ではなく、満了日の30日以上前。契約書の告知条項を確認し、その期限より手前にスマホのリマインダーを入れる。そして更新するかどうか迷ったら、契約書の該当条項をAIに読ませて整理させる、別の宅建士や専門家にセカンドオピニオン・サードオピニオンを求める——判断材料を自分の側に集めてから決めてください。

③一般媒介を短期で結び、複数社を競わせる

一般媒介であれば複数の会社に同時に依頼でき、各社の報告の質や動きの速さを比べながら見極められます。②の期間短縮と組み合わせれば、最初の1〜2ヶ月で「本気で動く会社」が自然と浮かび上がります。その上で、最も信頼できる1社と専任媒介に切り替える判断もできます。

④報告のされ方を、契約書に書き込めないか申し入れる

①〜③が「どう縛られるか」の設計だとすれば、こちらは「どう報告させるか」の設計です。

法律が定めているのは報告の頻度だけで、何をどこまで報告するかは書かれていません。だから「動きがありませんでした」という報告でも、形式上は義務を果たしたことになります。そこで、媒介契約書の特約欄に報告の中身を書き込めないか申し入れる、という方法があります。たとえば次のような項目です。

  • 他社からの内覧依頼・問い合わせがあった場合、その事実を報告すること
  • 相手方の会社名・支店名・担当者名、および受け付けた日時
  • 内覧の日程調整はメールで行うこと
  • 依頼を断った場合は、その理由

この4項目が意味を持つのは、それぞれが別の穴を塞ぐからです。「依頼があった事実」の報告は、問い合わせを受けながら売主に伝えない余地をなくします。会社名・支店名・担当者名まで残れば、後から事実確認ができます。日程調整をメールにすれば、売主と買主側に違う時刻が伝わることも起きません。断った理由の報告は、断ること自体を説明の対象にします。

実際に申し入れると、何が返ってくるか

正直に書きます。これをすんなり受け入れる会社は、おそらくほとんどありません。事務の負担が増えるという事情もありますし、書面にすると困る運用が前提になっている場合もあります。

ただし、返ってくるのは多くの場合「お断りします」ではありません。書かせない方向の提案です。「書面にしなくても、毎回きちんとご報告します」「そこまで書くと形式的になってしまうので」「弊社の報告フォーマットではこういう形で対応しています」——断られるより、こちらのほうが対処は難しい。売主は納得させられて、書面化を諦めることになります。

だからこそ、返ってきた提案の中身を見てください。頻度や記録の方法について具体的な代案を出してくる会社は、少なくとも報告の設計を考えています。一方、「そこまでは……」と曖昧に流すだけの会社は、報告の中身を約束したくないということです。代案が出るかどうか、その代案が具体的かどうかが、そのまま判断材料になります

折り合えなければ、拘束を緩める

申し入れが通らなかったとき、選択肢は「諦めて契約する」か「やめる」の二択ではありません。①〜③に戻って、縛られ方を一段軽くすればいいのです。

  • 専属専任媒介・専任媒介ではなく、一般媒介にする
  • 契約期間を3ヶ月ではなく1ヶ月にする
  • 今回は契約を見送り、他社の話を聞く

報告の中身を約束できない会社に、長期の独占を渡す必要はありません。逆に言えば、複数社と会っているからこそ、この申し入れができます。1社しか知らない状態では、断られた時点で交渉が終わってしまうからです。

書けたとしても、運用は別問題

最後に、期待しすぎないための注意も書いておきます。特約に書き込めたとしても、報告の精度は実際にやってみなければ分かりません。書いてあるから丁寧に報告されるとは限らないのです。

それでも書く意味はあります。書いてあれば、報告の質が伴わないときに、契約上の約束として指摘できるからです。書いていなければ、指摘する根拠そのものがありません。効果はそこまでですが、それで十分です。

どの形を選んでも、契約した日から記録する

縛られ方をどう設計するにせよ、やるべきことは共通です。

  1. サインする前に、これが契約だと認識する——期間・種類・更新のされ方・自分が受ける拘束を理解してからサインする。迷いがあるなら、その場でサインしない選択肢もあります
  2. 満了30日以上前にアラートを入れる——告知条項の期限より手前で、更新の判断を自分のタイミングでできるように
  3. やり取りをメールに残す——報告は口頭や電話ではなくメールで受ける形にしておく。具体的な方法はメール記録術にまとめています
  4. 登録証明書を受け取る——レインズ登録の動かぬ記録です。登録証明書の確認方法を参照してください

これらは、争うための準備ではありません。記録と期限管理がある売主には、そもそも雑な対応がされにくくなる——つまりトラブル自体を遠ざける効果のほうが大きいのです。

もめてしまったときは

すでに膠着している場合、行政の相談窓口という選択肢があります(不動産会社と揉めたら都庁へ)。また、弁護士名の通知が届いているなど法的な争いの段階に入っている個別の案件は、この記事の一般論で判断せず、必ず弁護士に相談してください。

ただ、この記事を「契約する前」に読んでいるあなたなら、話は簡単です。媒介契約書へのサインは、契約の締結です。その認識を持ち、縛られ方を自分で設計し、満了30日前のアラートを入れてからサインし、その日から記録する。それだけで、この記事に書いたトラブルのほとんどは、あなたの身には起きません。

この記事を書いた人

不動産業界で20年以上、今も現場に立ち続けている現役宅建士。宅建士(宅地建物取引士)は国家資格であり、重要事項の説明・契約書への記名押印は宅建士にしかできません。

不動産取引では、物件の法的・心理的な問題点や契約上のリスクを正確に把握することが非常に重要です。宅建士はそのための専門知識と法的責任を持っています。一方、宅建士が関与しない、営業が説明を行い、宅建士が重要事項説明書だけを読み上げるような取引では、重要な告知漏れや契約内容の不備が生じやすく、後からトラブルになっても法的な保護を受けにくいケースがあります。

なお、資格の名称を名乗るだけで免許を持たない悪質なケースや免許貸しのような法令順守をしていない会社もあります。会社のホームページで宅建士が在籍しているか、顔写真付きで掲示されているかなどを確認することが、ご自身と家族を守るためにも必要であると考えます。

現役宅建士
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不動産業界20年超。現役宅建士として、数百件の売買に携わってきました。

「もう少し早く知っていれば」——そんな言葉を、売主からも買主からも何度も聞いてきました。長年の経験で確信していることがあります。それは「ほんの少しの知識の差が、取引の明暗を分ける」ということ。

難しい専門知識は必要ありません。わずかなポイントを押さえるだけで、誰でも安心して納得のいく取引ができます。

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