引渡しの数日前に、売主・買主・仲介会社の担当者で立会い確認が行われます。買主と一緒に部屋を確認していたら、あるはずのものがありません。
「置いていくと聞いていたのですが」
売主にも心当たりはあります。たしかに、そんな話をした。ただ、いつ、誰に、どういう条件で言ったのかが、はっきりしません。
そして、数日後には決済が控えています。
口約束でも、契約は成立します
まず、いちばん誤解されている点から。
「書面にしていないから無効」ではありません。 民法にこう定められています。
(契約の成立と方式)
第五百二十二条 (中略)
2 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。
言っただけで、契約は成立します。「口約束だから守らなくていい」という理屈は、成り立ちません。
問題は、その次にあります
成立はする。ところが、何を約束したのかは残っていません。
この組み合わせが、いちばん厄介です。
- 約束は有効——だから「なかったこと」にはできない
- 内容は不明——だから「そんな条件ではなかった」も言える
片方だけなら、まだ収まります。無効なら払わなくていい。書面があるなら、それを見ればいい。有効なのに中身が分からない状態が、いちばん長引きます。
設備の引き渡しには、専用の書面があります
付帯設備表といいます。
契約のときに、売主が記入する書面です。エアコン、給湯器、照明器具、換気扇、網戸、物置、カーテンレール、インターホン。設備を一つずつ挙げて、「引き渡すもの/引き渡さないもの」「故障の有無」を記載します。
役割は、はっきりしています。
ここに書かれているものが、引き渡す約束をしたものです。 そして書かれていないものは、約束していないことになります。
同じタイミングで作る書面に、物件状況報告書があります。こちらは雨漏りやシロアリなど物件の状態を告知する書面で、付帯設備表は設備を引き渡す書面です。二つで一組だと考えてください。
「あとで書いておきます」と言われたら
付帯設備表は、売主が書くものです。
不動産会社が下書きを用意してくれることはありますが、内容を知っているのは売主だけです。エアコンが何台あるか、どれが動くか、いつ買ったか。
ここを担当者に任せてしまうと、後から「聞いていた話と違う」が出てきます。
「引き渡す」より「壊れている」のほうが重い
付帯設備表には、もう一つ欄があります。故障・不具合の有無です。
「引き渡す」と書いた設備が壊れていた場合、直す責任が売主に来ることがあるからです。
迷うのは、こういうものです。
- 10年以上使っている給湯器
- 片方だけ効きが悪いエアコン
- たまに反応しないインターホン
- 閉まりにくい網戸
「たぶん大丈夫」で「不具合なし」に丸を付けないでください。 気づいていることは、そのまま書く。それだけです。
書いておけば、買主はそれを承知で買ったことになります。書かなければ、買主が知りえなかったものとして扱われます。 引渡し後に出てくる話の多くは、ここから始まります(契約不適合責任の負担額)。
そして、契約したあとに不具合に気づいたときも、そのまま伝えてください。 黙っていて得をすることはありません。修理費より、隠していたと受け取られることのほうが高くつきます。
いちばん危ないのは、契約した後に足した約束です
実務では、ここでもめます。
付帯設備表は契約のときに作ります。 ところが、そのあとにも話は動きます。
- 引越しの準備を始めたら、持っていかないものが出てきた
- 設備の不具合が、契約後に見つかった
- 買主からの要望で置いていくことになったが、買主が失念していた
この段階の約束は、付帯設備表に反映されません。 書面はもう作り終わっているからです。
そして、たいてい電話か立ち話で決まります。
3つ目は、たとえばこういう場面です。買主からの申し出で売主が残したのに、確認の日に買主から「そんなことは言っていない」と言われる。
忘れる側は、どちらにもなりえます。
- 売主からの申し出を、売主自身が忘れている
- 買主からの申し出を、買主自身が忘れている
- 一方からの申し出を、もう一方が忘れている
ここでいう「忘れる」には、覚え違いや受け取り違いも含みます。
家族に伝わらない、という落とし穴
もうひとつ、見落とされやすい形があります。
その場にいた一人だけが約束して、家に伝わらない。
夫が担当者と話して決めた。妻はそれを知らないまま、引越しの片付けで処分した。あるいはその逆。悪意はどこにもありません。 ただ、伝わっていなかっただけです。
引越しの時期は、判断することが多すぎます。覚えていられると思わないほうが確実です。
法律論に持ち込むと、どうなるか
ここは、知っておく意味はありますが、使い方に注意が要ります。
まず、建物と一体になっているものは、建物と一緒に引き渡されます。
(不動産の付合)
第二百四十二条 不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。
また、建物のために備え付けられたものは「従物」として扱われ、こう定められています。
(主物及び従物)
第八十七条 2 従物は、主物の処分に従う。
一方、置いてあるだけで簡単に運び出せるものは、建物とは別のものです。売買の対象に当然に含まれるわけではありません。
さらに、「あげます」と言っただけの約束については、こういう条文があります。
(書面によらない贈与の解除)
第五百五十条 書面によらない贈与は、各当事者が解除をすることができる。 ただし、履行の終わった部分については、この限りでない。
ここに、古い情報が残っています
この第550条は、2020年の民法改正で文言が変わりました。
- 改正前——書面によらない贈与は、各当事者が撤回することができる
- 現行——書面によらない贈与は、各当事者が「解除」をすることができる
ネット上には、改正前の「撤回することができる」のまま書かれた解説がいくつも残っています。 10年以上前に書かれたものが、いまも読まれ続けているためです。
結論が大きく変わるわけではありませんが、古い条文を根拠に相手と話すのは避けてください。 そこを突かれると、他の主張まで弱くなります。
そして、持ち出せば争いになります
「これは贈与だから解除できる」と言えば、相手はこう返します。「売買の条件だったはずだ」と。
贈与なのか、売買の一部なのか。それを決める書面がないから、もめているわけです。 法律論は、どちらの側からも組み立てられます。
さらに、第550条には「履行の終わった部分については、この限りでない」という但し書きがあります。すでに渡してしまったものは、戻せません。
つまり——法律論は、決着をつける道具にはなりにくい。 使えるのは、書面がある場合だけです。
だから、書面にします。1行で足ります
大げさな契約書は要りません。
契約の後に決めたことは、メールで1本送っておく。 それだけです。
「本日お話しした件、確認させてください。○月○日、キッチンの○○は残置とし、○○の修理は行わないという内容で相違ないでしょうか」
これで、日付と内容が残ります。返信が来れば、双方が確認したことになります。返信が来なくても、送った記録は残ります。
やり取りの残し方は別の記事にまとめています。LINEでは記録として弱い理由も書きました。
そして、家族に転送する
ここまでを一手で済ませる方法があります。
そのメールに、家族を宛先に入れておく。
伝え忘れがなくなり、処分してしまう事故も防げます。書面にすることと、共有することが、同時に終わります。
引渡し前の確認日が、いちばんもめやすい日です
この種の話が表面化するのは、たいてい引渡しを控えた確認日です。
理由があります。その日まで、誰も部屋を空の状態で見ていないからです。
この状況で「どうしますか」と聞かれると、売主は「大した問題じゃないから、買主のほうでやってほしい」、買主は「引っ越してすぐに予定外の費用や手間が出るのは困るから、売主のほうでやってほしい」となりがちです。
その場で強引に解決しないでください
ここだけは、覚えておいてください。
その場で強引に決めたり、あいまいなまま進めたりすると、こじれて決済の日程にまで響くことがあります。
設備の話と決済そのものは、本来は別の話です。ただ、認識違いを原因とした決済の遅延や不履行の可能性もないわけではないので、慎重な対応が必要です。
それでも売主側で解決すべきと請求されたら
落ち着いて、順に確かめてください。
- 付帯設備表に記載があるか——契約書と一緒に受け取っているはずです
- 記載がないなら、いつ、誰と、どういう条件で決めたのか——相手の言い分を書面で出してもらう
決済が控えている中、慌ててしまうかもしれません。しかし、落ち着いて対処することでたいていは解決することができます。なお、契約書そのものの見方はこちらの記事に、引渡し後に不具合が出た場合の考え方は契約不適合責任の記事にまとめています。
まとめ
- 口約束でも契約は成立する(民法第522条第2項)。「書面にしていないから無効」は成り立たない
- 問題は、成立するのに内容が残らないこと。この組み合わせがいちばん長引く
- 設備の引き渡しには付帯設備表という書面がある。書かれているものが、引き渡す約束をしたもの
- 内容を知っているのは売主だけ。「あとで書いておきます」に任せない
- いちばん危ないのは、契約後に足した約束。設備表はもう作り終わっている
- その場にいた一人だけが知っている状態を作らない。家族にも共有する
- 法律論(第87条・第242条・第550条)はどちらの側からも組み立てられる。決着の道具にはなりにくい
- 第550条は2020年に「撤回」→「解除」へ文言が変わった。古いままの解説が残っている
- 契約後に決めたことはメール1本。日付と内容を残し、家族を宛先に入れる
- 引渡し前の確認日にもめても、その場で強引に決めない。付帯設備表と、いつ誰と決めたかを確かめる
「言った・言わない」は、どちらかが嘘をついているから起きるわけではありません。覚えている内容が、少しずつ違うだけです。
だから、疑う必要はありません。書いておけば済みます。
1行のメールで防げることに、引渡し前の確認日を使わなくていい。決めるのは、売主自身です。
