マンションを売りに出すと、内覧のために鍵を預けることになります。
その鍵が、いまどこにあるかご存じでしょうか。
不動産会社の金庫にしまわれている、と思っている方が多いのですが、実際には現地に置かれていることがあります。 暗証番号式の小さな箱、キーボックスです。
この記事は、それが良いか悪いかの話ではありません。そう聞かされたうえで、納得して選んでいるかどうかの話です。
キーボックスは、広く売るための仕組みです
先に、こちらから書きます。
担当者が毎回同行するとなると、案内できる日時が限られます。他社の営業が「明日の午前に見たい」と言っても、担当者の予定が空いていなければ動けません。
キーボックスがあれば、他社の営業が単独で案内できます。 内覧の機会は確実に増えます。
つまりこれは、売主のための仕組みでもあります。 設置すること自体は、まったくおかしなことではありません。
むしろ逆のほうが問題になることがあります。「鍵は当社でお預かりします。ご案内は必ず当社が同行します」——これは安全のためとも言えますが、他社が動きにくくなる形でもあります(囲い込みの仕組み)。
ですから、キーボックスを否定する記事ではありません。
ただし、マンションでは事情が変わります
戸建てなら、キーボックスに入っているのはその家の鍵です。開けられるのは、その家だけ。
マンションは違います。
多くのマンションでは、エントランスの解錠と住戸の施錠が、同じ鍵で行われます。 集中オートロックと呼ばれる形です。
つまり、キーボックスに入っているのはあなたの部屋の鍵であると同時に、建物に入るための鍵です。
番号を知っている人は、オートロックの内側に入れます。
ここが、戸建てとの決定的な違いです。戸建てなら、鍵が開けるのはその家だけ。マンションでは、オートロックという建物全体の仕組みが、その4桁の番号ひとつで開くことになります。
エントランスを抜けられれば、共用廊下も、他の住戸の玄関前も、駐輪場も宅配ボックスも、同じように通れます。自分の部屋の話だと思っていたことが、建物全体の話になります。
そして、他の住民も管理組合も、それを知りません。 オートロックがある建物を選んで住んでいる人にとって、これは自分の生活の前提が変わる話です。
そして、番号は基本的に変わりません
実務の肌感として、ここははっきり書いておきます。
一度設定した暗証番号は、基本的に変更されません。
売り出してから成約まで、数か月かかることがあります。その間に案内に来た会社は、1社ではありません。そのすべてが、番号を知ったままです。
そして案内が終わっても、番号は変わらない。過去に一度でも関わった人は、その後も開けられる状態が続きます。
売主に通知が来るとは限りません。いつ、誰が入ったのか。それを把握する仕組みは、標準では用意されていません。
ここが、この記事でいちばん書いておきたいところです。
1回目の案内には、連絡があるかもしれません。 ですが、番号を知られたあとは違います。2回目からは、報告がなくても開けられます。
申し込みも、立ち会いも要りません。番号を知っている人の数だけ、室内と外を自由に行き来できる状態が続きます。
問題は、箱そのものではありません。 一度知られた番号が、そのあとも生き続けることです。
鍵そのものが、戻らないことがあります
もうひとつ、起こりうることを書いておきます。
鍵が持ち出されたまま戻らない。あるいは、紛失する。 実務の肌感として、これは珍しい事故ではありません。
案内した会社が箱に戻し忘れる。別の物件の鍵と取り違える。持ち帰ったまま担当者が異動する。悪意がなくても起きます。
問題は、そのときに誰の手元にあるのか分からないことです。落としたのか、社内にあるのか、それとも別の誰かが持っているのか。分からないまま、番号は変わらず、箱はそこにあり続けます。
「戸建てなら鍵を替えれば済む」と書かれているのを見かけます。順番が逆です。
替えられるのは、無くなったと分かってからです。 分からないあいだ、その家には24時間、誰でも入れます。戸建てにはエントランスも管理人もいません。箱の中の鍵が開けるのは、玄関そのものです。
マンションの場合は、これにオートロックの内側に入れる鍵が行方不明になったという問題が重なります。影響が自分の住戸で止まりません。
戸建てのほうが軽い、という話ではありません。 開く範囲が違うだけで、自由に出入りできてしまうことは変わりません。
4桁の番号が守っているもの
キーボックスの多くは4桁です。組み合わせは1万通り。根気よく試せば、開きます。
しかも、設定される番号には偏りがあります。会社の電話番号の末尾4桁、1234、0000。覚えやすい番号は、推測しやすい番号でもあります。
公益社団法人全日本不動産協会は、キーボックスの無断設置についてという注意喚起を会員向けに出しています。業界の側でも、問題として認識されているということです。
管理規約に、書かれていることがあります
ここが、多くの売主が見落とすところです。
共用部へのキーボックス設置を禁止している管理組合があります。
エントランス周り、メールボックス、共用廊下の手すり。こうした場所は、あなたの専有部分ではありません。そこに何かを取り付けるには、管理組合のルールに従う必要があります。
知らないうちに設置され、知らないうちに規約違反になっている。そういう形が起こりえます。
実際、敷地内に設置できなかったために、業者が敷地の外の歩道にキーボックスを無断で取り付け、警視庁に摘発された事案が報じられています(日本経済新聞)。ひとつのマンションの周辺で、数十個が見つかったとされています。
売主が指示したことではなくても、設置されているのは、あなたの物件を売るためです。 他の住民から見れば、あなたの売却が理由で見知らぬ箱が増えたことになります。
法律は、どう見ているか
鍵を預かるという行為に、責任が伴わないわけではありません。
媒介契約は、法律行為でない事務の委託にあたります。民法は、こうした委託について次のように定めています。
(受任者の注意義務)
第六百四十四条 受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う。
この規定は、法律行為でない事務の委託にも準用されます(第六百五十六条)。いわゆる善管注意義務です。鍵を預かる以上、その扱いには善管注意義務が及ぶということになります。
宅地建物取引業法も、取引の関係者に対して信義を旨とし、誠実に業務を行うことを定めています(第31条)。
ですから、鍵の管理がまったくの自由というわけではありません。紛失や持ち出しが起きたときに、預かった側の責任が問われる余地はあります。
ただし、約款には書かれていません
ここは、はっきり知っておいてください。
標準媒介契約約款には、「鍵」も「管理」も「保管」も、一度も出てきません。 全文を確認しました。
約款が定めている不動産会社の義務は、相手方を探索すること、業務の処理状況を報告すること、指定流通機構に登録すること、価額について根拠を示して説明すること、書面を交付すること、引渡しに係る事務を補助すること。この6つです。
鍵をどう保管するかは、そこに入っていません。
つまり——鍵を預けることと、家を管理してもらうことは、別のことです。
「預けたのだから、見てくれているはず」。その前提は、契約書のどこにも書かれていません。取り決めがないぶん、何かあったときに拠りどころがなくなります。
売主が確認すること
疑うための話ではありません。確かめておけば、安心して任せられます。
①鍵をどう預けるのか。方法は3つあります
「置くか、置かないか」の二択ではありません。 実際には、次の3つから選びます。
- 現地にキーボックスを置く——鍵を物件に備え付ける
- 鍵取(かぎとり)にする——鍵を不動産会社で預かり、案内する会社に取りに来てもらう。自社で持つほか、近くの会社に預けておいて、そこへ取りに行ってもらうこともできます
- 立ち会いにする——案内のたびに、担当者が現地で対応する
どれが正解ということはありません。それぞれに、良い面と悪い面があります。
| 方法 | メリット | デメリット |
|---|---|---|
| 現地キーボックス | すぐに内覧できる | 管理体制に不安が残る |
| 鍵取(自社・預け先) | 安全性が上がる。数合わせのような案内が入りにくい | すぐには内覧できない |
| 立ち会い | 担当者から丁寧に説明してもらえる可能性がある | 担当者の都合に左右される。案内を絞る手段にもなる |
鍵取について、ひとつ補足します。取りに行く手間がかかるぶん、ついでに数をこなすような案内は入りにくくなります。 実務の肌感として、これは小さな違いではありません。
そして立ち会いには、気をつけるところがあります。
丁寧に見えます。実際、丁寧な場合もあります。ただ、「担当者の都合がつかない」と言えば、他社の案内を断ることも、遅らせることもできます。
断っているようには見えません。予定が合わないだけに見えます。
つまり立ち会いは、いちばん安全に見えて、いちばん案内を絞りやすい形でもあります。
だから、聞くのはここです。
現地に置くのか、鍵取にするのか、立ち会いにするのか。 どれにしてほしいかを、契約してからではなく、契約する前に決めてください。
売主が希望を言わなければ、会社のやりやすい形になります。
②置くなら、どこに、誰の許可で
管理規約を確認しましたか。 管理会社への連絡は済んでいますか。
この質問をして嫌な顔をされることは、まずありません。整っている会社にとっては、当然の確認だからです。
管理規約や総会の議事録は、売却の準備段階で集めておくものでもあります。マンションを売る前に確認しておくことにまとめています。キーボックスの可否も、そのときに一緒に見ておけば済みます。
③番号を知るのは誰か。いつ変えるのか
案内した会社が増えれば、番号を知る人も増えます。「区切りのタイミングで番号を変えてほしい」と伝えておくだけで、状態は変わります。
言わなければ、変わらないと思っておいてください。
④内覧があったら、報告されるか
専属専任媒介なら1週間に1回以上、専任媒介なら2週間に1回以上、業務の処理状況を報告する義務があります(3種類の媒介契約の比較)。
「何件の内覧があったか」は、その報告に含まれるべき内容です。 報告が来ない状態が続いているなら、それ自体が別の問題です(報告が来ないときにできること)。
⑤置いておくものを減らす
空室にして売りに出すなら、残しておくものは最小限に。 貴重品はもちろん、書類や郵便物も。
やり取りは、残る形で
鍵の扱いについて決めたことは、口頭で終わらせないでください。
「キーボックスは管理組合の許可を得たうえで、指定の場所に設置する」「番号は◯月に変更する」。メールで一度確認しておくだけで、後から確かめられます(記録の残し方)。
何も起きなければ、それで終わりです。使わずに済む記録がいちばんいい記録です。
納得できないまま進めなくていい
「現地には置かないでほしい」と伝えることもできます。 その場合でも、鍵取という形なら案内は続けられます。すぐに内覧できないぶん機会は減りますが、それを引き受けるかどうかを決めるのは売主です。
説明を求めても答えが返らない、規約の確認を頼んでも動かない。そうした状態が続くのであれば、媒介契約そのものを見直すという選択もあります。鍵をどう扱うかは、その会社の仕事の仕方が出るところです。
まとめ
- キーボックスは広く案内するための仕組み。設置すること自体はおかしなことではない
- ただしマンションでは、エントランスの解錠と住戸の鍵が同じことが多い。番号を知る人は建物に入れる
- 一度設定した番号は、基本的に変わらない。案内に関わった人は、その後も開けられる。2回目からは報告もない
- 4桁は1万通り。会社の電話番号末尾やありふれた数字が使われることがある
- 共用部への設置を禁止している管理組合がある。知らないうちに規約違反になりうる
- 敷地外の歩道に無断設置され、摘発された事案が報じられている
- 鍵を預かる側には善良な管理者の注意が求められる(民法第644条・第656条)
- ただし標準媒介契約約款に「鍵」「管理」「保管」は0回。預けた=管理してもらえる、ではない
- 預け方は「現地キーボックス・鍵取・立ち会い」の3つ。すぐ内覧できるか、安全か、案内を絞られないか——どれを取るかで選ぶ
- 戸建てなら軽い、ではない。鍵を替えられるのは無くなったと分かってからで、それまでは24時間出入りできる
- 確認するのは、預け方・設置の許可・番号を知る範囲と変更・内覧の報告・置くものを減らす
鍵をどこに置くかは、本来、売主が決めていいことです。
そして決めるには、まず聞かされている必要があります。
聞かされたうえで「それで構いません」と言うのと、知らないまま進むのとでは、同じ状態でも意味がまったく違います。決めるのは、売主自身です。

